こんにちは、七曜高耶です。
アジアチャンピオンズリーグ(ACL)で韓国側が掲げたと言う写真と
共に現地原発情報を載せていきたいと思います。
スタンドの「大地震をお祝い」横断幕。
七曜はとても悲しかったです。
特に今日、このブログに載せようと思っていた記事を彼らが読ん
でどう思うのでしょうか?
彼ら彼女らが同じ立場に陥った時、どの様な思いになるので
しょうか?
家族の死や子供の死、兄妹の死・・・・・沢山沢山起きて
しまいました。
そしてこれからも被災地に住まわれている方々や日本の国民は
苦しむでしょう・・・。
どの様な状況だとしても死者を愚弄し、悲しんでいる人々を指差し
馬鹿にする事は決して許される事では無いと七曜は思っています。
この件について七曜はかなり怒りを覚えてはいますが、
七曜は人間として、どの様な立場になったとしても生きている限り
有事がある可能性の時は「警告」し、
その相手がその様な行為を行った一部の韓国人だとしても護りたい
と思っています。
いつか横断幕を作った方も理解出来る日がくると願っています。
それでは【たんぽぽ舎】様からのメールの一部を転載致します。★ 福島県相馬市「原発さえなければ」自殺男性 壁に心の叫び
酪農家 悲劇の語り部 講演に奔走「風化させぬ」
東電・国への怒り代弁
○東日本大震災の発生から三カ月後の六月十一日、
福島県相馬市で五十代の男性酪農家が自ら命を絶っているのが
発見された。
≪原発さえなければと思ます≫(原文ママ)。
借金して建てて間もない堆肥舎のベニヤ板の壁には、悲痛な
叫びがチョークで書き付けられていた。
今も、原発事故の放射能汚染禍と風評被害などに苦しむ酪農
仲間は、何を思うのか。(中略)
○東京電力福島第一原発から約五十キロ、相馬市の山深い
集落で、約三十頭の乳牛を育てていたAさん。
六月十四日に営まれた葬儀には、隣の伊達市や飯館村など
市内外の同業者が大勢駆けつけた。
フィリピン人の妻、小学生と幼稚園児の息子二人の打ちひし
がれた姿が参列者の涙を誘った。(中略)
十年以上の付き合いという伊達市の酪農家、菅野伸一さん
(五二)が
Aさんと最後に話したのは、同月九日。
牧草の刈り入れを手伝ってもらうことになっていた。
「朝、電話してきて『いろいろあって行けなくなった』と
言うんだ。
その時はふだんの彼のような気がしたんだけども」堆肥舎で
首をつっているAさんが発見されたのは、その翌々日の十一日。
壁には≪2011 6/10≫の記述とともに、
こんなメッセージが残されていた。
≪原発さえなければ≫(中略)「原発のせいで、何もかもおかしくなった。
原発さえなければ、家族そろった人並みの生活がおらにだって
できたんだ」
「この先どうなるのか、酪農家はみな不安感にさいなまれている」。
相馬市で家族と牧場を経営する女性はやり切れない思いを語る。
「彼は何も悪くなかった。
原発さえなければ、と思っているのは彼だけじゃない」
○「自分の村のことで精いっぱいで、彼の相談に乗ってやれな
かった。今も悔やんでいる」(中略)
プロジェクターを使って壁に投影されていた画像は、
Aさんの書き残したメッセージだった。
長谷川さんもAさんの仲間だった。(中略)
「自分たちの体験を広く知ってもらうべきではないかとぼんやり
考えていたが、迷いもあった。
彼の死によって、決意が固まった。
メッセージは一連の出来事を伝えてくれという彼の願いだと受け止めた」
≪残った酪農家は原発に負けないで
頑張てください≫≪仕事をする気力をなくしました≫と
Aさんが堆肥舎の壁に残したメッセージを読み上げる。(中略)
Aさんはじめ酪農家の代表として、生の声で体験を語り続ける
ことが今の自分に課せられた使命だと考えている。
「飯館村は75%が山で、除染は簡単ではない。正直、戻るのは
難しいと思う」
と長谷川さんは唇をかむ。
「風化するのを待っている人たちもいるだろう。
でもそうはさせない。
とんでもない事故が起きて福島県民が悲惨な目に遭ったことを
忘れてもらうわけにはいかない。そのためなら、しばらく無職
でいいんです」
○【デスクメモ】失職し居場所もなく自己否定に走る自死者は多い。
≪原発で手足ちぎられ酪農家≫の辞世の句で「早い賠償さえあれば」と
悔やまれる。(呂)
(2011.9.26「原発さえなければ」東京新聞より抜粋)
【転載終了】
国籍が違ったとしても、同じ人間です。
良いところもあれば悪いところもある。
でも、お互いに認め合い理解し、共に歩んで行く事が出来る
世界になったら本当に素晴らしい事だと思います。
綺麗事でしかないでしょうが・・・・・そうなって欲しいと
七曜は思っています。
最後迄読んで頂きまして有り難う御座いました。
七曜 高耶
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こんにちは。
記事を読み、涙が溢れました。
私は震災が起きた日に、たまたま東北や茨城に起きた。私達の分も被災を受けたと感じました。
今、東京に住む私に何ができるかわかりません。
忘れることは決してしない。
私もですが、生まれ場所から他県などに移り住むのは、精神的物理的に簡単ではありません。
地域に根付いた仕事、生活をされていたらなおさらです。美しい環境ですし。
でも、放射能で健康を害してだけはあってほしくないです!農業をできる方は立派な技術を持っています誰もがすぐにできる仕事ではありません。
農業の盛んな地域に住む場所と農地を国が用意して、福島に戻れる日まで、そこに移り、生活をしていくことは無理なのでしょうか…
そのための募金を集めるとか……難しいでしょうか。
書くのは簡単とわかり、考えました。
明日は他人事ではない危機感も感じています。
最近は黒い津波や、人口減らしのために、子供が教室らしき場所で、教壇の後ろの光の文字を見て、死んでいく場面をみたりします。
それも津波がくるのに逃げれず、もうあきらめなさいみたい気持ちになっていて、もしかして人工的?とおもったりする夢でした。
想像しすぎでしょうか
半島の人々と日本人は、その源をシュメール・ギリシャ・インドに発する同じ人種です。
かなり専門的な話になりますのでここでは説明しませんが、言わば彼らと私達は、数千年前に同じ歴史を共有した血を分けた兄弟です。
「民度の低さ」と言ってしまえばそれまでですが、言葉を失いました。
こんにちは、けいこ様。
七曜高耶です。
いつもコメントを有り難う御座います。
被災している方々の為に今何が出来るのか・・・・・と、
私なりに色々と考えていますが、結局何も出来ないと言うのが
現実です。
ですが、私はこのブログを通してのみですが、
原発情報を流していける事を知りました。
これからも出来るだけ情報を載せて行きたいと思っています。
書くことしか出来ない七曜ですが、どうぞ宜しくお願い致します。
七曜 高耶
こんにちは、yoshi様。
そうですね、何と言いますか・・・・・
とにかく国籍は違えども同じ人間であるのに、
この様な行動をとるとは・・・・。
残念で仕方有りません。
もう少し思いやりの心があれば・・・・と思いました。
七曜 高耶
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